ゆうべつ@サッポロ/道立図書館にて<2>婦人の歩み
道立図書館(江別市)が所蔵する資料から湧別の話題を探す企画は前回、60年以上前の青年の学び場を取り上げた。第2弾は同じ時期の女性の学びの場を紹介する。
資料は昭和37(1962)年度の冊子「婦人の歩み」(湧別町教育委員会発行)。前回の「青年短期大学」の受講生レポートと同じ年度の資料だ。婦人団体や婦人学級の活動が載っていて、表紙右肩に「㐧(第)二回湧婦連協一夜研修会実績発表 湧別町における婦人学級の内容」と添えられている。
「湧婦連協」は地域の婦人会などでつくる湧別町婦人団体連絡協議会の略称。参考までに、「湧婦連協発足十周年記念機関誌」として37年に発行された「ともしび」創刊号も同図書館に保存されている。「婦人学級」は昭和30年代に当時の文部省が市町村に委嘱して全国に広まった。女性が自ら企画・運営する学びの場という位置づけで、旧湧別町、旧上湧別町でも相次いで開設された。
「婦人の歩み」をめくると、この時代に地域の女性たちが何を課題にどんなことを学び合ったのか、その一端を知ることができる。
第二回一夜研修会は、昭和37年3月26、27日に湧別町公民館で開かれた(第一回は不明)。冊子が研修の資料だったのか、研修後にまとめた資料なのかはわからないが、内容は婦人会活動と婦人学級学習の実績発表を兼ねていて、湧婦連協と婦人学級が密接な関係にあったことがうかがえる。
冒頭に、畑作と酪農が主産業で地域戸数が130戸余りという、町内のある婦人会の活動報告が載っている。地域が抱えていた悩みや課題に知恵を出し合い、立ち向かう活動がそこにつづられている。
まず、地域の問題点を洗い出している。立地条件がすこぶる悪く、飲み水に乏しく、冬は雪を溶かして生活し、電灯も満足に普及していなかった。多額の借金を抱えて生活に追われ、健康状態が悪くて医療費がかさみ、町税の滞納もある。祭りや盆・正月などの費用も生活を圧迫。集落は「前近代的」で慣行と慣習が支配し、共同で利益を求めるという意識に欠けているとも書かれ、にっちもさっちもいかないような状況だった。
そんな苦しい思いや生活をしていながら疑問を持たずに過ごしていたことの反省もあり、「小さくてもいつか実を結ぶことを期待」し、食生活改善のための知識と技術を習得し、共通の悩みは話し合いの中で解決していくことを決意して行動に移した。
地域ぐるみで話し合いができる場として、集落の人たちも動かし、昭和32年に草深い開拓地へ公民館を建設。公民館にモデル台所を設け、少しずつ食器や器具を買いそろえ、食生活を向上させる技術を学ぶ環境を整えていった。
と、ここまで読み進めて、次のページで驚かされた。そこに書かれていたのは「人参による納税畑の実施」「納税豚の飼育」だった。もちろん、ふるさと納税の返礼品の話とかではなく、人参栽培や養豚で得た収益金を町税の滞納分に充てる「負債整理」の話だ。
会員がそれぞれ同じ面積で人参を育て、豚は婦人自らの手で飼育管理したという。滞納額は不明だが、35年に人参で13万7400円、豚で9万円を納め、過年度を含めて完納のめどもつけたそうだ。大卒初任給が1万2千~3千円ともいわれる時代。単純比較はできないものの結構な額だ。また、共同で畑も耕し、毎年少しずつモデル台所の備品購入にも活用したという。
「納税豚」といった発想がどこから生まれたのかはわからないが、共同の意識が欠けるという中で、こうした取り組みを進めることがどれほど大変だっただろうか。
冊子では、婦人会活動に続き、町内の婦人学級の現況が掲載されている。37年度時点の学級数は、最も早い34年4月開設の湧別市街婦人学級をはじめ15学級。学んでいる人数は22人~149人と開きはあるが、年間の学習時間はおおむね50時間前後で1カ月あたり4~5時間になる計算だ。
それぞれの学級の実施計画が載っているが、その前に開設の手引きともいえる手順が書かれ、考えられる学習項目が列挙されている。幼児教育や児童教育、社会生活、食生活、家庭経済、中小企業、社会問題など大きく15、細かく260項目にものぼる。
幼児や児童では兄弟げんか、子どもの質問、共かせぎと子どもの教育、口の達者な子など。青年では恋愛に関する親の態度、農家を嫌う子といった対応が難しそうな問題も。家庭生活や食生活では若夫婦と老夫婦、嫁と姑、カロリー計算、家庭電化と電気器具の知識も挙げられている。社会問題では町村の予算や議会見学から米ソ首脳会談や朝鮮問題まで。国や道が示したものかもしれないが、身近な問題から国際問題にまで幅広い分野を網羅している。
これらは、あくまで例示。では、実際にはどんな学習が計画されていたのか。
目立って多かったのは夫婦や親子、嫁と姑、集落を含めた人間関係だ。3世代同居が普通で家族は多く、地域の決まり事も多い中で良好な関係を築くことが大切だったことは想像に難くない。子どもの教育やしつけも多かった。ほめ方やしかり方、夏・冬休みの過ごし方、授業参観のほか、運動会に備える踊りや競技の練習といった実習をする講座もあった。
食生活では栄養食やカロリー計算、冬に備える野菜の貯蔵、漬物、正月を迎える料理を考える講座や発表会も各学級で予定されていた。ほかに、礼儀作法や生け花、着付け、エチケット、ちょっとした常識を身につける講座や、子どもたちと楽しむためのピクニックや軽スポーツをはじめ、娯楽が少ない中で歌謡や舞踊、映画・フィルム鑑賞などのレクリエーションも随所に盛り込まれていた。
また、町行政や議会傍聴、選挙、国民年金、保健衛生や応急処置などを知る講座がある一方で、農業を営む一員として野菜栽培や小家畜の飼育、作柄などを学ぶ講座もあった。
活動を通し、学習意欲はあっても仕事を抱えて参加が一定の人に限られがちで、講師や教材不足にも悩まされたようだ。そんな苦労がありつつも、食生活が改善した、人が集まるところに出掛けられるようになった、婦人学級で学ぶことに家族や地域の人々が協力的になった、と学習の効果を実感できた点が数多く挙げられている。
戦後の混乱期から復興期、高度経済成長期を経て女性の社会参加が進んだ。こうした地域の女性たちの活動も大きな役割を果たした。冊子を読んで、改めてそう感じられた。
(取材・文/ふるさと特派員 島田賢一郎)
