ゆうべつ@サッポロ/道立図書館にて<1>青年短期大学
札幌圏で湧別を探す。さて次は何をと考えたとき、ふと頭に浮かんだのは図書館。道立図書館なら湧別に出あえる。よし行こう。とその前に、まずネットで探すのが今や当たり前。
ホームページの蔵書検索を使い、「湧別」でヒットしたのは596件。はて、多いのか少ないのか。隣町の「遠軽」だと537件。まあこんなものか。ちなみに札幌市の図書館で同様に調べると、湧別97件、遠軽130件(いずれも令和7年7月1日現在)でした。
話題にできそうな蔵書や資料がないか。古い順に並べ、目についたのが「青年短期大学」の文字。タイトルは「昭和37(1962)年度 湧別町第一期青年短期大学受講生レポート集」(湧別町教育委員会発行)。
第一期!短大!60年以上前に農村地帯で開設された「大学」とはどんなものだったのか。青年たちはそこで何を学んだのか。借りたい資料のメモを手に、江別市にある道立図書館に向かいました。
館内でのみの利用ということで、写真を撮る許可を得て閲覧させてもらった。「短期大学」といっても期間は2年ではない。「発刊にあたって」を読むと、公民館で1月25日~2月28日の間に15日間(2月8日までの連続15日かと思ったが、明確に28日までとあった)。農村の後継者養成が狙いで、講義は1日8時間、計120時間とかなりハードだ。
レポートの記述を拾うと、申し込みは60人で、名簿には40人近い名前があったようだが、開講式に出たのは20人足らず。期間中は22~23人が出席し、泊まりは女性6人男性3人。最終的に25、6人が日程を終えたとある。客土などの共同事業とかち合ったことも参加者が少なかった一因だったらしい。
レポートは川西、信部内、上芭露、西芭露などから参加した17人が書いていて、うち9人が女性だった。ただ、講師や講義の内容は受講生の感想の中に出てくるが、一覧できるものがないため講座の全体像がつかめない。
レポート集と一緒に蔵書検索で見つけた、同じく町教委発行の「38年 湧別町短期青年大学 テキスト」も閲覧した。名称が「青年短期大学」から「短期青年大学」に変わった事情は不明。第二期用のテキストとも考えられるが、その記載はない。こちらは1月25日~2月8日の連続15日間。しかし、ページごとに講義名と講師名が書かれているほかはメモ用らしき空欄しかないため、受講生の反応が分からない。
どちらも15日間で、レポートに出てくる講師や講義名はテキストと共通点が多い。ということで、2冊をすり合わせて読むことにした。
まずテキストには、講師に役場や教育局、保健所、農協の職員のほか、湧別高校の校長や教諭、酪農学園大学(江別市)の学長や教授、NHK北見放送局放送部長の名もある。
1日最大6、全57の講義も多彩だ。民主社会と道徳、世界の状勢(情勢)、都市と農村、法律と生活、農基法と農政、日本農業の問題点とかなりお堅いタイトルから、乳幼児の病気と看護、救急法、栄養食など実生活に関連する話題まで幅広い。
もちろん酪農経営や農業機械など農業の実務を学ぶ講義も。妊娠と栄養、乳児と栄養、老人と栄養、農繁期の栄養食と、さまざまな角度から栄養にスポットを当てているのは、生活改善が叫ばれた時代の要請だろうか。
青年の心と生活意識、恋愛と結婚、余暇とレクリエーション、うたごえゲームなどの時間も。「うたごえ」って何とも懐かしい響き。家族会議というのもあって、このお題でいったいどんな話をしたのか興味深い(具体的には分からなかった)。
一方、レポート集には受講した感想や反省、要望、今後への生かし方など、細かく分けると74本とかなりの分量のレポートが、約50ページにわたり掲載されている。(なお、後段5ページの付録「国内研修旅行報告記」はここでは触れない)
それぞれの講義に自分なりの受け止めが書かれていた。農機具では「償却費の事などは何も考えずに買い入れたが、機械の良い悪いが少し解って来た様に思える」、酪農では畑作専門の受講生が関心はないとしつつ「将来何時かは役立つ時が来る様な気がする」といった前向きにとらえるレポートが多かった。
中には、歴史に関する講義で「中学時代の歴史の時が思い出されて(中略)自然にまぶたの上と下が仲良く成って来てしまう」と正直に打ち明ける受講生や、「牛がガス(牛のおなかがガスで膨れて苦しむ症状)を起こした時の手当て」など具体的な希望講義を挙げる受講生もいた。家族の協力があって短大に出席できたことに感謝する言葉も随所に見られた。
余談だが、鶏の解体の講義もあったようで、筆者も幼いころ、実家(酪農)で飼っていた鶏の羽を姉と2人で泣きながらむしり、その夜はカレーライスだったことを思い出した。
レポートの講評的な記述では「受講生諸君が非常に真剣に学習した(中略)湧別の中堅人物として活躍してくれる風ぼうをみせられて意をつよくした」とある。
実はこの当時、地域ごとに「青年学級」があった。湧別町百年史によると、旧湧別町では昭和28年に始まり、38年には町内7学級で169人が学んでいた。主に冬に一般教養と職業(家庭)の科目を計200時間以上とこちらもハードスケジュール。講座の内容や講師は不明だが、全町から参加者を集めて開いた青年短期大学は青年学級と位置づけが違ったようだ。短大のレポートには「最近の青年学級がいろいろな障害にぶつかって低調になりがち」ともあり、短大開設の狙いはこのあたりにもあったようだ。
町は36年に道教委から「北海道教育モデル町村」に指定され、社会教育にも力を入れていたことがうかがえる。38年度の事業計画には青年学級も青年短期大学も盛り込まれている。ただ、55年度の推進計画になると、どちらも見当たらない。
青年学級は高校進学率の上昇と過疎で41年に「解消」と記録されている。青年短期大学は、町の図書館や教育委員会にも照会したが、今のところ道立図書館で閲覧した今回の2点しか資料を見つけられず、いつまで続いたかは追跡できていない。この資料がどんな経緯で道立図書館にやってきたのかもナゾだ。
「大学」と名付けた講座はそう珍しくはなく、湧別町には現在、町民大学やチューリップ生きがい大学がある。旧上湧別町時代にスタートし、合併後も続く町民大学は、過去に池上彰さんや故野村克也さんなど、なかなかの著名人を招いて年5回ほど講演会を開いてきた。52年(1977年)に始まり、今年で49回目と約半世紀の歴史がある。高齢者向けでは47年に芭露老人大学が開設された記録もある。しかし、これらより10年以上前の37年には「大学」と名付けた学びの場が湧別にあったことは確か。その証として、資料の存在をここに書き留めておきたい。
(取材・文/ふるさと特派員 島田賢一郎)
